松本梨花の世界システム認識に役立つ雑学

松本梨花|世界システムを教える認識士

金融危機を乗り越えたイングランド銀行の秘密



はじめに

イングランド銀行は、中央銀行として世界で最も長い歴史を持つ金融機関の一つです。その設立から現在に至るまで、イングランド銀行は英国のみならず、世界経済においても重要な役割を果たしてきました。

本記事では、1694年の設立から1929年の大恐慌まで、イングランド銀行が関わった主要な出来事とその役割を掘り下げ、銀行の存在意義を解説します。

1696年:通貨の偽造防止と貨幣制度改革

1696年、イングランド銀行は通貨偽造問題に対応するために貨幣制度改革を支援しました。当時、偽造通貨が蔓延しており、経済に深刻な影響を与えていました。

イングランド銀行は、この問題を解決するための改革を推進し、通貨の信頼性を向上させることで経済の安定を図りました。

この取り組みは、イングランド銀行が経済の基盤を支える役割を果たす一例となりました。

1707年:イングランドスコットランドの連合

1707年のイングランドスコットランドの連合により、イングランド銀行の役割はさらに拡大しました。

この連合によって、イングランド銀行は英国全体の通貨供給を管理する責任を負うことになり、イギリスの経済全体に対する影響力が一層強化されました。

これにより、英国の経済統合が進み、国内の経済活動がより効率的に行われるようになりました。

1720年:南海泡沫事件

南海泡沫事件は、イングランド銀行が直面した初めての大規模な金融危機の一つです。

この事件は、株式投機バブルの崩壊により発生し、英国経済全体に大きな打撃を与えました。

イングランド銀行は、この危機に対処するために市場に資金を供給し、経済の安定を図る役割を果たしました

この経験は、後にイングランド銀行が「最後の貸し手」としての役割を確立するきっかけとなり、金融危機への対応力を強化する契機となりました。

1725年:イングランド銀行の利子政策の導入

1725年、イングランド銀行は正式に利子政策を導入しました。

これは、国内外の資金調達を容易にし、経済活動を支えるための重要なステップでした。

この利子政策の導入によりイングランド銀行は現代の金融政策の基礎を築くこととなり、後に中央銀行が果たす役割の一部となりました。

1751年:政府債務の管理(Consolidated Fund Act)

1751年、イングランド銀行政府債務の統合管理を開始しました。

Consolidated Fund Actに基づき、政府の債務を一元管理することで、国家財政の安定化を図りました。

この法律の制定により、政府債務管理の新しい枠組みが確立され、イングランド銀行は国家の経済政策において重要な役割を担うこととなりました。

1783年:アメリカ独立戦争後の経済再建支援

アメリカ独立戦争後、イギリス経済は大きな打撃を受けました。

イングランド銀行は、経済再建を支援し、国内経済の回復を促進するための役割を果たしました。

この時期のイングランド銀行の活動は、戦後の経済再建において重要な位置を占め、イギリスの経済復興を支えました。

1797年:金本位制の一時停止(Bank Restriction Act)

ナポレオン戦争中、イングランド銀行は金との兌換を停止するという重要な決断を下しました。

これにより、銀行は金準備に基づかない銀行券を発行し続けることができ、戦時経済を支えるための資金供給を維持しました。

この措置は、戦争資金を確保するための柔軟性を提供し、経済の安定を図るために不可欠なものでした。

1800年アイルランドとの統合と銀行業務の拡大

1800年イングランド銀行アイルランドとの統合に伴い、イギリス全体の金融システムを統一する役割を果たしました。

この統合により、イングランド銀行は地域経済の統合を支え、英国全体の経済活動の効率性を向上させることができました。

これにより、イングランド銀行はさらに強固な経済基盤を築きました。

1821年:金本位制の再導入

ナポレオン戦争後、イングランド銀行は再び金本位制を導入し、英国の通貨制度が金の価値に基づく安定したものとなりました。

この再導入により、イングランド銀行英国の通貨信頼性を回復させ、国際的な信用を強化しました。

1833年:銀行券の法定通貨

1833年イングランド銀行の銀行券が正式に法定通貨として認められました。

この措置により、銀行が発行する通貨が国の標準となり、経済全体での流動性と信頼性が強化されました。

この法定通貨化は、イングランド銀行が国内の金融システムの中核として機能することを確実にし、経済の安定化に貢献しました。

1844年:ピール法(Bank Charter Act)

1844年、ピール法(Bank Charter Act)が制定され、イングランド銀行はイギリス唯一の法定紙幣発行機関となりました。

この法律により、紙幣の発行が金準備に基づいて行われるようになり、現代の中央銀行制度の基盤が築かれました。

この法改正は、イングランド銀行が経済安定化のために果たす役割を一層強化しました。

1847年:鉄道投資バブルと金融危機

1840年代、イギリスは鉄道投資ブームに沸きましたが、その後バブルが崩壊し、深刻な金融危機が発生しました。

この危機に際し、イングランド銀行は市場に流動性を供給し、経済の安定を図りました

この対応は、イングランド銀行金融危機時に果たす重要な役割を示し、後に中央銀行が「最後の貸し手」として認識される基盤を築きました。

1858年:インド大反乱後の財政管理支援

1857年のインド大反乱後、イングランド銀行はイギリス東インド会社の財政管理を支援し、植民地の経済安定化に貢献しました。

この支援は、イギリス帝国の拡大に伴う経済的影響を緩和するために不可欠であり、イングランド銀行の国際的な役割を強化しました。

1866年:オーバーエンド・ガーニー銀行の破綻

1866年、オーバーエンド・ガーニー銀行の破綻により、イングランド銀行は「最後の貸し手」としての役割を強化しました。

この破綻により、イングランド銀行は他の銀行に流動性を提供することが期待され、金融システム全体の安定を図るための重要な存在となりました。

1870年代:帝国間の経済的支援

1870年代、イングランド銀行はイギリス帝国の拡大に伴い、植民地や同盟国に対する経済的支援や通貨の安定化に貢献しました。

これにより、イングランド銀行は国際的な影響力を拡大し、帝国の経済的繁栄を支える役割を果たしました。

1907年:米国恐慌への対応

1907年、アメリカが金融危機に見舞われた際、イングランド銀行は米国の金融システムを支援するために流動性を供給しました。

この対応は、国際金融市場の安定を図るために重要であり、イングランド銀行の国際的な影響力を示すものとなりました。

1914年:第一次世界大戦金本位制の停止

第一次世界大戦が勃発すると、イングランド銀行は再び金本位制を停止しました。

この決定は、戦費を調達するための資金供給を維持するために不可欠であり、政府債務の管理と戦争経済の支援において重要な役割を果たしました。

1919年:戦後復興と財政政策の強化

第一次世界大戦後、イングランド銀行は戦後復興のための財政政策を強化しました。

この政策には、高インフレーションへの対応や復興資金の調達が含まれており、国家経済の再建をサポートしました。

これにより、イングランド銀行戦後の英国経済の回復において重要な役割を果たしました。

1925年:金本位制の再導入と1929年の大恐慌

1925年、イングランド銀行金本位制を再導入しましたが、これが経済に過度な負担をかけ、1929年の大恐慌の原因の一部となりました。

大恐慌後、イングランド銀行金融政策を調整し、経済の安定化を図るために重要な役割を果たしました。

 

次回は1929年以降の主要な出来事について記載していきます。